ACCESS
アクセス
〒270-1147 千葉県我孫子市若松119-4
交通機関
JR我孫子駅南口から徒歩21分
駐車・駐輪スペースがございません。
閑静な住宅街にあるアトリエです。
駐車・駐輪スペースはございません。近隣のコインパーキングや駐輪場をご利用の上、ご来場ください。
おすすめ!手賀沼公園からお散歩しよう!
手賀沼公園から若松地区へと伸びる散歩道を約400m直進、道なり左手にございます。手賀沼の水辺の豊かな自然をお楽しみいただきながら、お散歩でのご来場をおすすめしています。
story of Abiko
「物語の生まれるまち我孫子」 千葉県我孫子(あびこ)市
親子3世代がこの地に住み、物語が生まれて、そして続いていくまちを目指す我孫子。
都心へのアクセスも良く生活の便利さもありながら、手賀沼と緑溢れる自然に囲まれ風光明媚な水辺の豊かな暮らしが両立するまち、住みやすく安全な『香り高き文化都市』づくりを進めています。
“風の人” と “土地” の共創がめぐるまち
東京まで約35分の好アクセス、東京に一番近い天然湖沼である手賀沼のほとりの街、我孫子は1886年(明治29年)には常磐線が開通し、東京からの交通の便が良くなったことで、手賀沼の景観に魅せられて多くの偉人・文化人・実業家などが別荘地として休暇を過ごす地となり注目を集めます。
白樺派の拠点にもなり、文化人が創作活動に打ちこめる地として一躍有名に。手賀沼の湖畔に邸宅を構えて家族ぐるみで暮らし、自然あふれる土地で充実した日々を過ごしながら名作を創り上げていきました。彼らを慕って若い芸術家(作家・画家の卵)達が来訪したことから、大正時代から昭和にかけて「北の鎌倉」と称され、多くの文化人に愛される地となりました。
また「柔道の父」として知られ、教育の発展やオリンピックによる世界平和の実現にも力を注いだ嘉納治五郎は、関東大震災を機に我孫子に移住、地域の発展に貢献したジャーナリストの杉村楚人冠と共に奔走し、 1929年(昭和4年)に我孫子ゴルフ倶楽部を創立。関東屈指の名コースと言われている場を築きました。
そして1970年(昭和45年)に市制が敷かれ、自然豊かな日常の中で人とのクリエイティブな対話を育み、感性を養っていく香り高き文化のまち、我孫子市が誕生しました。